butterfly・stroke inc.

青木克憲の考え方

Chapter 1

わかりにくいものをわかりやすく、わかりやすくしたものを深く考えて、
深く考えたものを明るく表現して、明るく表現したものをまじめに伝える。

デザインを学び、それを仕事にしていきたいと願う若者にとって、今、将来は不安でいっぱいかもしれません。テクノロジーの進化やグローバル化の進展は驚くほど早く、10年後をイメージするのは誰にとっても困難ですし、AIが多くの仕事を代替するようになれば、求められる仕事の質も変わり、技術はすぐに役に立たなくなる可能性もあります。その不安は、僕にも理解できます。しかし、デザインという仕事の領域は、みなさんが思っているよりも、広く、深いものです。自信を持って目指す道に進んでいくために、どう考え、行動するべきか。僕なりに試行錯誤し、実践してきたことをお話ししたいと思います。みなさんが確信を持って、デザインの仕事に自分の将来を託す答えを探すための、ちょっとしたヒントになれば幸いです。

バタフライ・ストローク・株式會社の20年

バタフライ・ストローク・株式會社は、東京の中央区勝どきの倉庫街にあります。はじめて訪問される方は、必ずといっていいほど、戸惑われるようです。なにしろ建物は物流倉庫そのもの。意を決して物流用のエレベーターでオフィスのフロアに上がり、ドアが開くと、そこには古き佳き昭和の街並みが拡がっています。これは、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の美術監督で知られる上條安里さんにお願いをして作っていただいたセット。その先がオフィスであり、ミーティングや展示、イベントも出来る多目的スペースです。このスペースでは、これまで仲條正義さん、寄藤文平さん、半田也寸志さん、挾土秀平さん、黒田征太郎さん、小泉今日子さん、そしてチームラボさんなど、様々な作家やクリエイターの方々に展覧会、講演会などで活用していただいたり、ショップとして一般の方に開放したりと、様々な試みを積み重ねてきました。ここで僕は日々、様々なプロジェクトや企業のディレクション/プロデュースについて考えを巡らせています。

バタフライ・ストローク・株式會社は、約20年前の1999年、サン・アドのアートディレクターだった僕が独立し、広告制作会社として設立しました。しかし、広告代理店からの依頼を受けてこなす、伝統的な受注生産型の広告制作の仕事には無駄なストレスや消耗も少なからずあり、いつしか自分の仕事のスタイルを生産型にシフトさせたいと考えるようになっていました。さまざまなトライ&エラーを経て、いま、バタフライ・ストローク・株式會社の仕事の中心は、直接クライアントから依頼を受ける案件に変化しています。結果として、広告の枠を越えて、企業のブランディングやクリエイティブ全般を担当する機会が増え、BtoB(企業対企業の商取引)の企画戦略から、支店や店舗の空間設計に至るプロデュース、ディレクションを行なえるようになりました。企業のさまざまな階層の課題解決を担うことで、クライアント企業をより深く理解することができ、結果的にその企業と長いお付き合いが出来るようになっていると感じています。そのなかから、現在、懇意にさせていただいている2つのクライアントとの関係をご紹介しましょう。