タケヤマ・ノリヤ

2009年3月28日にbtfトークに登場してくれたのは、イラストレーターとして活躍するタケヤマ・ノリヤさん。明るい「光」だけではなくて「影」も漂う「メルヘン」の世界を追求するクリエイターとして知られる描き手です。手がけてきたのは、宇宙百貨の「なつカワキャラ」、「コエダリアン」、「ドクッキノ」など、その根底には一環したタケヤマさんの想いが流れています。そんなタケヤマさんの創造の原点とも言えるのが、タカラ時代の玩具づくり。同トークショーでは、「リカちゃん」の歩みを中心に、かわいいをつくってきたクリエイターの視点を披露してくれました。

タケヤマ・ノリヤさん


自己紹介

はじめまして。タケヤマ・ノリヤと言います。今は、イラストレーターとして仕事をしています。最近は、「かわいいは世界を救う!」と大仰に謳ったHUG=原宿アンリミテッド・ジェネレーションというイベントを開催したり、新しい玩具をタカラトミーさんと一緒になってつくったりしています。河出書房からは、『想い出のリカちゃん』という書籍を出版させていただいたこともあります。

タケヤマ・ノリヤさん


「かわいい」ということ

私は、元々、タカラ(現タカラトミー)にサラリーマンとして勤めていたのですが、そのときに配属されていたのが、「リカちゃん課」という課で、そこで「かわいい」というものを随分と勉強させていただきました。 私は、桑沢デザイン研究所という専門学校を卒業しているのですけど、学校の同期生は皆、錚々たるデザイン事務所で勤めていたりして、そのときにリカちゃん課に配属されて、女の子向けの商品開発をしていた私には、正直を言えば、切ないものがありました。職場には面白い人やいい人たちも多くいたのですが…。でも、段々と慣れていくと、不思議なもので、ピンク色やかわいらしい姿形をしたものに対して、つまり「かわいい」というものに対しての先入観がどんどんとなくなっていったんです。タカラさんでお世話になった5〜6年というのは、そういうことを培った時代で、その経験は今も活かされています。

タケヤマ・ノリヤさん


リカちゃん課とは

リカちゃん課というのは、その名の通り、リカちゃんを商品化するための部署なのですが、部署にいるのは、ほとんどが男性ばかりでした。でも、そこでみんなで、「ああでもない、こうでもない」と熱くなりながら商品づくりをやっていっていました。リカちゃんという商品には、常に時代毎の背景が映されています。だから、見ていくと非常に面白いわけですね。

1967年、リカちゃん発売当初のテレビCM。

タカラの玩具

タカラというメーカーの玩具の特徴というのは、オリジナルの玩具であったということだったんです。オリジナルですから、既に物語設定が決められて売られている玩具とは違って、そこには、自分で自由に設定を決めることができる喜びもあった。ミクロマンでも、こえだちゃんでも、リカちゃんでも、使う子が自由に設定を決められた。そこに子供たちは、想像する楽しみを見出してくれるわけです。

タケヤマ・ノリヤさん

1977年「リカちゃん&リナちゃん」。このCMはピンクレディの影響が色濃く見える。

こえだちゃん

最初にこえだちゃんが発売されたのは、1977年です。この年というのはピンクレディーが人気を博していたり、銀河鉄道999の連載がはじまった年です。こえだちゃんは当初、外国では安定して高い人気を誇ったプレイモービルやレゴのような玩具を目指してつくりはじめられたそうです。だから、描かれた目は点で、CMでは「男の子も一緒に遊べるよ」というメッセージが挿入されていました。しかし、実際の市場では、やはり女の子の商品になっていて、私が入社して担当させていただいていたとき(1988年)には、当時の(女の子の)市場に合わせてアニメっぽくしたものをデザインしていたのを覚えています。ちなみに、タレントのちあきさんやTMレボリューションの西川さんなどが、子供の頃にこえだちゃんで遊んでいたことがあるとお話してくれています。

タケヤマ・ノリヤさん

「こえだちゃん パンダのオレンジマンション」。この中には、オレンジカーだったり、パンダも出てくる。当時、パンダは人気。このパンダは内藤ルネさんの影響がうかがえる。

リカちゃん

リカちゃんが世間に登場したのは、1967年のことでした。60年代と言っても後半ということもあり、アングラだとかハプニングだとかヒッピーだとかの 70年代の臭いが漂っていた時代です。マンガで言うと、「天才バカボン」や「ルパン三世」がはじまった年でもありました。リカちゃんは、60年代、70年代、80年代を通して、時代毎のさまざまな空気を映してきた玩具です。そんなリカちゃんシリーズの中でも一番人気だったのが、1984年に発売となったマクドナルドシリーズのリカちゃんでした。このシリーズが人気だったおかげで、当時のリカちゃんの売上げは50億円にまで売り上げが伸びました。そうした時代というのは、マクドナルドというものが憧れの対象だったんでしょうね。

1984年「マクドナルドショップ」。これが大ヒット商品です。
後に「リカちゃんのミスタードーナッツショップ」も大変な人気を博すことに。

リカちゃん人気の低迷

しかし、私がタカラに勤めはじめた頃というのは、リカちゃんの売り上げは、大幅に下がってしまっていた頃でした。そのころタカラ製で人気が高かった人形は、ジェニーだったんです。だから、当時はいつもジェニーのチームと比べられていて、リカちゃんチームは、居場所がなかった。そして遂に、リカちゃんは危うい位置に立たされて、事業として撤退することが、会社で決断されるところまでいってしまったんです。

タケヤマ・ノリヤさん


リカちゃん復活

ところが、リカちゃんチームとしたら、「最期だったら、本当にいいものを!やり残したことをやろう!」という気運になったんです。それまでのリカちゃんは、ファッション的なところでばかり勝負していて、本当の意味でのキャラクターが見えにくくなってしまっていた。だったら、もう一度、「リカちゃんのキャラクターを再度掘り起こそう」と、スポットライトを当てたのが、リカちゃんのパパでした。パパに焦点を当てることで、リカちゃんのキャラもより鮮明になる。リカちゃんパパは、実は香山ピエールというフランス人のハーフの音楽家なんです。だけど、いくら何でもその設定はおかしいと、チームは新たに、香山大介という、建築デザイナーのパパを設定し直しました。すると、それに対して強く反対の声をあげたのが、広報部でした。そんな試行錯誤があった結果、やはり、香山ピエールで挑むことになったわけです。すると、これがNHKの取材を受けたり、CMで脚光を浴びたりと、予想外の注目が集まって、何とリカちゃんの売上げがまた元の良い状態に戻ったんです。それでリカちゃんは、事業から撤退せずに済み、リカちゃんチームは表彰までされました。それは、本当に感動的な出来事でした。そうしたことを経験して、現在のタケヤマ・ノリヤがいると言えると思います。

リカちゃん発売から22年後の1989年に、パパの香山ピエールが初登場。現在も人気は健在。

■タケヤマ・ノリヤ(イラストレーター)

1964年東京生まれ。日本・東京の1960年代〜70年代前半のグラフィックイメージ(怪獣や漫画、コマーシャル)に影響を受け、育つ。1986年(株)タカラ入社。リカちゃん課配属。日本を代表する「リカちゃん」という歴史ある商品の元、キャラクターの創作を学ぶ。こえだちゃんの商品企画などで貢献する。2008年大人のためのこえだちゃん化計画「コエダリアン」発表。その他の代表として、カエルとアヒルのキャラクターpoolys(プーリーズ)、小さな人形の世界Lili put livins(リリパットリビンズ)、黒ネコの女優キャラCatrine Cat Walk(キャトリンキャットウォーク)などがある。創作した「可愛い」キャラクターを通じ、メッセージを世界に発信するアーティスト。

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